2011年02月09日
バター茶と手作り新聞

新幹線の中で退屈しないよう、駅の書店でとりあえずと買い求めた小説がなかなか面白く、物語の舞台がチベットであったことから、チベットで古くより親しまれ飲まれている「バター茶」を試したくなりつくってみた。
牛乳100mlに水100ml、2g程のほうじ茶をミルクパンに入れ火にかける。煮立ってきたら火加減に気をつけながら、ほうじ茶の色がよく出るまで待ち、塩少々にバター3gを加え、ステンレスの水筒などへ茶こしで茶葉を取り除きながら移してフタをする。水筒を振り、中の茶をよく撹拌させて完成、というネットで検索したレシピを忠実に再現し、カップに注いだアツアツのバター茶を口に含むと、想像していた脂っこさは全く無く、ほんのり塩気のあるほうじ茶ラテといった風。
チベットといえば思い出されるのは、中国による侵略。2008年にビョークが「ディクレア・インディペンデンス(独立を宣言しよう)」という曲の最後、「チベット、チベット」と、上海でのコンサートで叫んだのは記憶に新しい。
かつて中国共産党は、人民解放軍という殺人鬼集団をチベットへ送り込み、チベット人を大量に殺しながら侵攻した。チベット族に尊敬されていた指導者ダライ・ラマ14世は人民解放軍による拉致・暗殺計画の前にインドへ亡命、結局は中国がチベットを占領した。
そんな悲しきチベットでは、客人に対してバター茶でおもてなしをするらしい。器が空にならないように、絶えず茶を注ぎ足すことには、チベットの厳しい環境では次にまた生きてあえるかわからない、という理由からからお茶で精一杯もてなし、また客人もお茶を器に残して去ることで、いつかまた生きてここに来て、このお茶の残りを飲むという意思表示をするのだという。なんとも温かい心のやりとりだ。
しかし、近年の中国共産党の教育方針で教育された若者たちからこのような文化は排除され、廃れつつあるのだというから嘆かわしい。チベットに根づく相手を思いやる文化を、中国共産党の「自分だけよければ主義」が消滅させるなんて。図々しい者が勝つのは許されるべきではない。私は、今もなおいわれない占領と虐待を受けるチベットの正義が、中国共産党に勝つ時が来ると願い信じている。
さて、話は変わって、私の住む横浜南部の駅前で、朝早くから手作りの新聞を配る人を見かけるようになった。何の気無しにその新聞をいただいてみると、その新聞の主である田辺さんはなかなか面白い経歴をお持ちで興味をひかれた。
地域、住民の身近な問題を解決したいという政治信条はもちろん、強固な地盤があるでもないのに、無所属で横浜の市政に打って出ようという、その根性が素敵であり、今の国政に対する意見にも大変共感できる。
選挙前に期待させることを吹いて多数決で勝ったに過ぎないような、でくのぼう党政権や、金にまみれた巨大政党の政治家達が十分に腐らせてきたこの国の政治を、いつかは寒い冬の朝に自転車を漕ぐ、彼の正義が正すに違いない。そんな期待を抱かせる内容の手作り新聞をバター茶片手に読みながら、ふたつの小さな正義をダブらせてみた。
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